大変残念なことに、建築は2012〜2013年、華々しく開校式をしたのは約3年前ですが、校舎は使われることなく放置されていました。実習地として庭の1/3くらいは畑として利用されていましたが、学生のシャワールームとされた小屋は管理人なのか、見知らぬおばさんが住みついていました。
外国のNGOが得意な箱もの支援と、ハイチ人の見栄っ張り気質ががっちりかみ合ってできた農業大学校。学校理事会がそういうものを望んで決めたこととはいえ、学生がほとんどおらず、先生の給与確保の見通しもなく最初から支援だのみ。そのうち理事同士でいがみ合いがはじまり、うまくいかないのは人のせい。
シスター須藤が当初望まれた、近隣の現役農民のための簡単な実習施設であったなら、もっと活気溢れる場になっていただろうにと思わずにはいられません。
西の門から入ったところ。右側にはバナナ畑が。 鍵がないので、中には入れませんが、昨年と変わりなし。 がらんとしています。左手の部屋には当会の支援で整備した机と椅子があるはず。 この建物の建設を支援したNGOの来訪を伝える貼り紙が寂しく揺れていました。 小さいのはGEEDHの事務所。 でも畑はちゃんとやっているみたい。 水を溜めておく設備。屋上に降った雨水を溜めるしかけになっています。 当会の支援で設置したコンテナ。当時は農機具を入れていました。 この事務所も外国のNGOの支援で震災直後に建設。今は来る人もなく雑草が生い茂っています。 野菜が育っているのが救い。トウモロコシと茄子が植えてあります。 バナナも立派。 男女別のシャワールームとトイレがある別棟。今はすっかりおばちゃん家。 ああ、GEEDH。丁度10年前、私も一緒に畑仕事したのが、ついこの前のようなのに。この門をデザインした仲間のマキシ氏はどうしているかな。