レオガンの農業学校ETALの現状

大変残念なことに、建築は2012〜2013年、華々しく開校式をしたのは約3年前ですが、校舎は使われることなく放置されていました。実習地として庭の1/3くらいは畑として利用されていましたが、学生のシャワールームとされた小屋は管理人なのか、見知らぬおばさんが住みついていました。

外国のNGOが得意な箱もの支援と、ハイチ人の見栄っ張り気質ががっちりかみ合ってできた農業大学校。学校理事会がそういうものを望んで決めたこととはいえ、学生がほとんどおらず、先生の給与確保の見通しもなく最初から支援だのみ。そのうち理事同士でいがみ合いがはじまり、うまくいかないのは人のせい。

シスター須藤が当初望まれた、近隣の現役農民のための簡単な実習施設であったなら、もっと活気溢れる場になっていただろうにと思わずにはいられません。

投稿者: staff